.

.

我が故郷の

渋川王子ヶ岳

(初めてのデジカメ撮り4)                     07/08/12、14、と二日間の写真です

毎年盆は四国の親の墓参りと、決まっているが今回は少し違った、我が中学校の同窓会が故郷で盆にあり
ついでに岡山の我が故郷渋川と王子ヶ岳に行ってきた、育つた町は誰でも我が町が自分にとって、
一番やと思ってる人は多いはず、私も同じで自慢の渋川と王子ヶ岳を載せてみました。

.

今回も四国に行くには宇高国道フェリー何時もと変わりはないが今回は(おかやま丸)に乗って行きました

  

宇野港出航の四国フェリー                                                 宇野港入港のおかやま丸

宇野港出港の四国フェリーこれも宇野高松間の航路で国道フェリーと同じで一時間で高松に着くが
こちらは一般客は少なくトラックがほとんど利用している、右のおかやま丸が今回乗った舟です、
宇高国道フェリーは全部で5隻あり、こんぴら丸、おかやま丸、こくどう丸、りつりん丸、たかまつ丸、
と常時4隻が24時間運行して1隻が予備で待機している、と聞く、

  

大槌島と向こうの瀬戸大橋                                          大槌島付近まで迂回するフェリー

今日は真夏の空なのに少し風が強くおかげで遠くまで見える、大槌島の向こうには瀬戸大橋がハッキリ見える
フェリーの甲板にいると風は強くて、立っているのも少し間々ならぬ、日差しは強いが風のせいで熱くないが
肌には間違いなく日焼けしているのでさっさと写真写して上甲板から下りた、
何時もはおだやかな瀬戸内も所処白波が立って大きなフェリーもゆれていた

.

.

渋川海水浴場

.

07/08/14日

  

渋川海水浴場からの大槌島                                          海水浴場からの王子ヶ岳

ここは岡山県最大の玉野市渋川海水浴場で今日は盆の14日なのに海水客は多いほうだ
私の時代は盆は泳がないと決まっていたが今の時代はおかまいなし、左の写真の監視台の
向うに大槌島が見えるが上の写真のフェリーからの反対からの風景だ、この渋川は子供の
ころからの遊び場で夏は家から海水パンツのまま泳ぎに来たぐらい近い、だから大槌島の風景は
私にとって故郷そのものだ、右の写真は渋川浜からの王子ヶ岳渋川
登山口は玉野市だが王子ヶ岳山頂は倉敷市になる、

  

水平線に瀬戸大橋が見える                                      水族館のシンボル灯台

渋川の砂浜は子供のころは浜砂は多かったが波にさらわれて一時ほとんど少なくなり
砂幅が細くなった、その為、砂を外国から輸入して元の砂浜にした、

.

右の灯台は渋川水族館のシンボル、実際灯台としては生きていない、この水族館は古く、
出来て50年はなる、規模は小さいが子供のころからアシカの声が家まで届き聞いて育った、
地元の人は渋川の水族館と呼んでいたが正式名は私立玉野海洋博物館となっている、

  

マリンホテルから宮田山を望む                                                渋川港

渋川港から見た瀬戸内マリンホテルもちろん子供の頃はこんな大きな建物はなく浜には
海の家が即ち小屋が並んでいたがいまでは大きく様変わりして車社会になり海水欲客も
県内から県外客に変わっている、このホテルで今回も同窓会の開催がありこれで四度目かな、
渋川港は今ではヨットとクルーザーの港みたいになっているが、
以前は漁船が大半をしめた港で、一本釣りの舟が多かった、

渋川港

子供だけでこっそり小さい船に乗り釣りに出かけた事もよくあった帰りにエンジンがかからず
帰るにも困った思い出がある、一般には夏は浜の岩場での須潜りで魚をモリで突いて
浜で焼いて食べたのが常例で一日中海で過ごして肌は真っ黒に日焼けして、渋川の子は
海のカッパとよく呼ばれていた、今は山にはまっているが元々海育ちで海は得意である。
海も昔は綺麗だったが一次ひどく汚れた時期があり環境問題で厳しくなった
いまでは子供の頃までは行かないが綺麗に戻りつつあるのは嬉しい。

.


王子ヶ岳


07/08/14日

  

ニコニコ岩からの大槌島                                          展望レストラン近くからの大槌島

王子ヶ岳は渋川のはし渋川港の直ぐ横から車で簡単に行ける15分も登れば山頂に着く山頂には
展望レストランが二件ほどありそこからの展望も素晴らしい、写真の左は手前の有名なニコニコ岩
からの大槌島の展望で右は岩がむき出しになって岩の上に岩が乗っている、この辺の山の地形は
ほとんどの山が岩の上に岩の風景で、子供のころから見慣れた風景で玉野市ではどこの山でも見れる、

  

竪場島の展望                                             レストランからの児島、鷲羽山

こちらは西側の展望、竪場島(たてばじま)私たちは通称クジラ島と呼んでいた、渋川側から見るといかにも
クジラが泳いでいるような姿に見える島で、たてば島、よりクジラ島のほうが良く通じた、人は住んでいなく
建物が一二あるだけ、手前の小さなゴミみたいに見える小さな陸地は大塩に塩が引くと大きく陸地が現れて
春には貝堀でにぎ合う、右の写真はレストランから隣の町児島が見える前は児島市だったが倉敷市と合併して
倉敷市児島になった、隣まちには少年のころよくバイクなどで鷲羽山や町に遊びに行った、児島は織物の町で
子供の頃は畳の総、縁(へり)などや学生服を作るのが知られていたが今ではほとんどあのパンツのジーパンを
織っていてテレビの取材が何度も来るほど知られている、

王子ヶ岳の駐車場からの展望

王子ヶ岳駐車場から南東側を見た瀬戸内の展望、遠くは小豆島から、目の前に四国、五剣山、
屋島などいかに本州と四国の距離が近くに見えるかがよく解る、
もっと解りやすく地図を作って載せてみた

.

普通地図は上が北で下が南と決まっているが、逆さまに解りやすく上を南に下を北にして地図を作ってみました、
王子ヶ岳からの東側の地図で赤い線は国道フェリーの航路です、瀬戸大橋が出来るまではJRの連絡船も同じ航路を
運行していました、大崎の鼻と渋川とが本州と四国が一番日本で近い瀬戸内で地図で見るとよく解ります、海と山に
囲まれた町、玉野市皆さんの町と比べてどうですか、故郷は皆と比べるものではないですが、うらやましく思われませんか、
少し自慢し過ぎかな,子供の頃からの景色はほとんど今になっても、海に埋立地もなく山も削られた跡もなく、昨今開発が進む
世の中で変わっていない故郷を見るのは本当に嬉しい。

王子ヶ岳から北を見ると写真にはないが、おもちゃ王国の観覧車そのまた向うには山の頂上に鉄塔が立っている
常山が見える、またここの王子ヶ岳には春には欠かせないあるものが多くあり近くの市民でにぎ合う場所でもある。

王子ヶ岳展望レストランから

王子ヶ岳からの西側、瀬戸大橋の全望が見える、鷲羽山から坂出まで約13kmもあり鉄道と
併用橋としては世界最長で通行料も世界に劣らない、子供の頃橋が架かる話があるたびに期待に
大きく膨らんだものだがいざ出来てみると初めは人気があったが、今は利用が少なくフェリーのほうが多い、
こちらも地図で見て比べて見て下さい


上の地図と同じように逆さに作ってみました写真と地図とで比べるとよく解りますが瀬戸大橋は
五つの島を渡って出来ています、出来た頃は珍しくてよく利用して途中の与島に必ず寄って休憩がてら、
土産を買ったり食事をしたものです、橋を渡るのに普通車だと児島、北坂出間片道通行料は3500円もしますが、
電車だと児島坂出間、電車だと片道510円で橋を渡れる裏技があります、これも明石海峡大橋やしまなみ海道の橋に
比べて鉄道と併用しているからですね、鉄道の好きな人は多く利用しています、渋川から鷲羽山はバイクなどで
早ければ30分ほどで行けたが、今は児島も昔に比べ発展して信号が増え車が増え簡単に
行けなくなった、児島ボートがあるとなおさら混む

鷲羽山は昔はほとんど自然の山だったがいまではハイランド、瀬戸大橋、ホテル、とまったく風変わりしてしまった
それに比べて王子ヶ岳は変わっていない道が車で登れるように舗装したのと展望レストランが一つ増えたぐらい

展望レストランから岩の間を通って少し行くと王子ヶ岳の真下が瀬戸内が迫って見える、海から
道そしてすぐに山があり岩がごろごろしてよく崩れないものだ、岩の先まで行って
撮った絶境のアングルだ、カメラを撮っていると若者が数人やってきた、岩の先まで行くと
絶景ですよ、と教えると中には足がふるえて立つのも出来ず直ぐに止める人もいた

渋川港横の王子ヶ岳登山口

渋川港信号横の王子ヶ岳登山口です、ここから矢出山をえて山頂までは1時間もかからない登山道で
大きな木もなく日影が少ないので涼しくなるとハイキングがてら快適な散歩登山で最適だろう、 
王子ヶ岳は別の名所があると言ってましたが、じつは別の名所でもあるのは地元の人には知る人ぞ
知る桜の名所である、春は毎回必ず花見に行く場所で恒例みたいになっていた、小学生のとき
中学生のときの春の遠足は桜の花見、王子ヶ岳と決まっていた、遠足での思い出で、世の中ほとんど
貧しかったころ、運動会か遠足か正月ぐらいしかご馳走は食べれなかった唯一の弁当を広げた際、
りんごが坂で転んで谷に落ちて行って食べれなかった思い出が何時までも今でも悔しく印象に残っている。
その当時はもちろん山道は踏み跡だけの獣道みたいなもの一列に並んで時間をかけてゆっくり桜の
花見に登った思いが浮かんでくる、今でもあまり変わっていない王子ヶ岳は
自然のままで何時までも続いてほしい。




前ページに戻る





.